衆議院議員 前原誠司とはどんな人物?その政策は?

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衆議院議員 前原誠司はどんな人物?

前原誠司はどんな人物なのかまとめてみました。

来歴

1962年 4月30日 京都市左京区生まれ

     両親は鳥取県出身 父親は地方公務員 母親は主婦の一般的な家庭で育つ

1975年 京都市立修学院小学校卒業

1978年 京都教育大学教育学部附属京都中学校卒業

1981年 京都教育大学教育学部附属高等学校卒業

1987年 京都大学 法学部 卒業 松下政経塾 入塾 (8期)

1991年 京都府議会議員総選挙 当選 (無所属)

1993年 第40回衆議院議員総選挙(京都1区) 当選(日本新党公認) 

1996年 第41回衆議院議員総選挙(京都2区 旧民主党公認) 2期目当選

2000年 第42回衆議院議員総選挙(京都2区 民主党公認) 3期目当選

2003年 第43回衆議院議員総選挙(京都2区 民主党公認) 4期目当選

2005年 第44回衆議院議員総選挙(京都2区 民主党公認) 5期目当選

     第5代 民主党代表に就任

2006年 堀江メール問題で民主党代表を辞任

2007年 第6代代表 小沢一郎のもと、民主党副代表

2008年 民主党の農業政策を不可能なバラ撒きと批判。

     (上記発言の抗議メールが民主党議員に一斉送信される)

2009年 第45回衆議院議員総選挙 (京都2区 民主党公認) 6期目当選

     与党時代 国土交通大臣、内閣府特命担当大臣(防災、沖縄及び北方対策)に任命

2010年 内閣府特命担当大臣(防災担当)を免れる

     社会民主党連立離脱に伴い、辻元清美議員とカメラの前で抱擁し話題となる

     外務大臣に就任(菅第一次改造内閣)

2011年 京都市の飲食店経営の在日外国人より総額25万の政治献金を受けていたことが明らかになり、外務大臣を辞任

    民主党憲法調査会会長に就任

    裁判官追訴委員会委員長に就任

    民主党代表選挙に出馬も5名中3位で敗北

    民主党政策調査会長に就任

2012年 国家戦略担当大臣

    海洋政策担当大臣

    内閣府匿名担当大臣

    (経済財政対策、科学技術政策、原子力行政、宇宙政策)に就任

    第46回衆議院議員総選挙(京都2区 民主党公認) 7期目当選

2014年 第47回衆議院議員総選挙(京都2区 民主党公認) 8期目当選

2017年 第3代民進党代表に就任

    第48回衆議院議員総選挙 (京都2区 無所属)9期目当選

2020年 新国民民主党 代表代行に就任

2021年 第49回衆議院議員総選挙(京都2区 新国民民主党公認) 10期目 当選

    国民民主党選挙対策委員長に就任

2023年 国民民主党党首選挙 現職玉木雄一郎に敗れる(本人たちはノーサイド)

    現在に至る

気になる事件が幾つかありますね

前原誠司の政策における基本的思考

新たな社会像 “All for All(みんながみんなのために)”

高齢化や人口減、所得減、財政難など国民の不安がどんどん強まるなか、「格差是正」の枠を超えて、「あらゆる生活者の不安を解消する」ことを目指す政策理念のことです。

“All for All(みんながみんなのために)”の旗印のもと、私たちは、生活困窮者だけではなく、だれもが尊厳を持って生きていけるように、すべての人びとの基本的な生活ニーズを満たす「尊厳ある生活保障」を実現して行きます。


痛みを分かち合い、社会に「たくわえ」を作りながら、就学前教育の無償化、大学授業料の無償化や大幅減免、職業訓練・再就職支援の拡大、保育士・介護従事者等の待遇改善、医療・介護の負担減、住宅支援などのサービス強化を検討していきます。

前原誠司ホームページより

ご自身の家庭環境が厳しい時期があり、その経験が背骨にある政策理念なのでしょう

堀江メール問題

当時、前原誠司が民主党党首だった頃、同じ民主党議員であった永田寿康衆議院議員が自民党幹事長である武部勤と当時ライブドア社長であった堀江貴文との間に不当な金銭の授受があったと追求した政治騒動。

当時ライブドア社長であった堀江貴文氏より、社内メールで、自身の衆議院議員出馬に際し、自民党幹事長である武部勤の次男にコンサルタント料として3000万の支払いを指示したと指摘し、政権与党である自民党の責任を追求。しかし、自民党幹部や当時総理であった小泉純一郎も事実を否定。さらに堀江氏は自民党公認の候補者ではないため、踏み込んだ調査は行えないと回答。

それでも永田議員は証拠となる電子メールを持っているとメディアに答え、当時党首であった前原誠司も「証拠の確度は高く、永田の指摘は妥当」と党として後援する形となった。

結末は、このネタをリークした人物は数々の捏造記事を持ち込む事で業界では有名な人物であり、情報提供者がその人物であることが判明すると、このメールはデマであると見なされた。証拠とされたメールも同一人物からの送付であり(自作自演)、ライブドア社内調査でもこの電子メールを送った従業員はいないと報告した。

永田議員は一転して「メールは誤りだった」と述べ、一連の非があることを認める。永田議員は議員辞職。世間を騒がせた騒動の責任をとって民主党幹部は責任のある役職を辞することとなった。前原誠司も党首を辞した。

民主党の農業政策を「不可能なバラ撒き」と言って総スカン

2008年6月前原誠司は、『中央公論』で、農家への戸別所得補償や子ども手当などのマニフェストについて、行革だけでは財源を捻出するのは絶対無理、「私は、(民主党は)『君子豹変』しないかぎり、まともな政権運営はできないと思いますよ」と持論を展開した。

この主張は、自身が代表時代に法案を提出した民主党の農業政策を自ら「不可能なバラ撒き」として否定したことになる。

面目丸潰れにされた格好の民主党幹部から「抗議と説明の電子メールを党所属国会議員全員に向けて一斉送信されるという事態に発展した。そのメールの内容は、「民主党の農業政策をバラマキだと言える精神は理解しがたい。次期総選挙を考えても看過できない」「妄言を糾弾し、その退場を勧告する」「(前原)副代表は自らの出処進退を明らかにされんことを勧告する」など激烈なものであった。

辻元清美議員と抱擁

社会民主党連立離脱に伴い、当時国土交通省大臣であった前原誠司に副大臣の辻元清美議員が辞表を提出。抱擁し別れを惜しんだ。辻元清美議員の辞表提出について「残念の一言。連立を離脱するのは社民党の決定だが、辻元清美さんという一人の立派な政治家には引き続きやっていただきたかった。正直なところ受け取りたくなかった」と述べた。メディアの前での抱擁であったため、世間で話題となった

飲食店経営の在日外国人より総額25万の政治献金を受けていたことが明らかになり、外務大臣を辞任

前原誠司の献金問題は、京都市で飲食店を経営する在日韓国人女性から5年間で計25万円の政治献金を受領していたことが発覚。外国人や外国法人から献金を受け取ることは政治資金規正法で禁じられており、外相を辞任した。

2005~10年にかけて、在日外国人4人と在日外国人が代表取締役を務める法人1社から計59万円の献金を受けていたと発表した。

在日韓国人女性の子供2人と、別の人物から計5万円を受け取っていたと公表。4人の個人に関しては在日外国人と認識していたが、献金を受けていたことは「知らなかった」と説明した。法人1社については外相辞任後に、代表取締役から申し出があったという。「日本名で社会的、経済的活動をしており、外国人だと認識できなかった」と釈明した。

民進党党首

2016年から民主党の後継として民進党が発足。2017年に行われた民進党代表選では、枝野幸男氏に勝利し、3代目となる民進党の代表に就任しました。しかし合流を決め、予定していた希望の党の選挙惨敗の責任をとり、同年代表を辞職した。

いかがだったでしょうか?かなり波瀾万丈の政治家人生を送っている前原誠司氏。今後の活躍が期待されます。まだまだエピソードを追加していきますので、ご確認をお願いします。